コールド・ゲーム





学校早退して、やっとの思いで家に帰り着いた俺に同居人がかけた言葉は、 「またですか。貴方いい加減真面目に授業に出ないと留年しますよどうでもいい ですけど」 という、何とも冷たいものだった。こいつの場合、“どうでもいい”が本音だか らいっそ泣けてくる。だがもう、文句言う余裕もない。薄っぺらいカバンを放り 投げて、玄関に崩れ落ちた。 倒れ込んだ床の温度が存外に気持ちよかったから、そのまんま這いずって自室の 前まで行った、うつ伏せじゃドアノブに手届かねェじゃんどうすっかな、なんて 考えて、試しに仰向けになって手を伸ばす、途端思い出したみたいに降ってくる 闇、いやこれはカオスか? ※ 誰かが叫んで目が醒めたら、左頬が熱かった。 「まだ紅葉の季節には早いですよ政宗うふふふ」 ベッドの脇に座って光秀が笑っている。陰気だ。 「言ってる意味がわかんねェよ馬鹿」 「……そうですか貴方鈍いんですねぇ気付きませんでした」 そう言って光秀が差し出したのは手鏡。なるほど見事な紅葉だ。左頬の熱さの原 因はコレだな。となると叫んだのも俺に違いない、内容は多分「痛ェ!」とか、 そんなんで。 「テメェ光秀この野郎」 「なかなか起きない貴方が悪いんです」 即答。いや、判っちゃいたが。 そういえば、俺は何で、ベッドの上で寝てるんだろう。確か部屋に入る前に力尽 きた筈──…… ピピピピ…… 疑問を口にする前に、脇の下で控え目な電子音が鳴った。取り出してみると体温 計で、数字は38度後半を指している。ひょいと覗き込んだ光秀が、あからさまに 溜め息を吐いた。 「こんな熱を出したら風味が落ちるじゃないですか。冷ましてください今すぐ」 俺はあれか、焼きすぎたステーキか。心配の仕方が間違ってる。ていうか冷ませ って何だ。まさか冷蔵庫にでも突っ込まれるんじゃないだろうな。 アホなことを考えてたら、べちっという音と共に濡れたタオルが降ってきた。 ……鼻の上に。 「おっと……手が滑りました」 奴はきっぱりと言ってのけた。いい加減頭に来てた俺は、怒鳴ってやろうと口を 開いた(ついでにタオルも払い除けた)俺の口は、罵詈雑言を吐き出す代わりに盛 大に咳込んだ。肺の中の酸素を全部出し切って、それでも咳は止まらない。せり 上がってくる嘔吐感を必死で堪える。 「ッ──、ッ……」 目には涙が浮かんできていた。情けねえとは思ったが、こればっかりはどうにも ならない。 そのとき、 丸まった背中に、掌の感触があった。光秀だ。 その掌はゆっくりと、ガキを宥めるように俺の背中を上下した。暫くすると、嘘 みたいに呼吸が元通りになる。 「大丈夫ですか」 「あ、ああ……サンキュ」 そう返すと光秀は微笑んで頷き、何故か顔を近付けてきて。思わず後ずさる体は 細っこい腕にがっちりホールドされて、身動きも取れずに固まる俺の唇の端に、 柔らかい舌の感触と、ピリピリとした微かな痛み。 「おまっ……何す、」 「ふむ、血の味がしますね」 顔はすぐに離れ、光秀が事も無げに言った。 「血の味がします、じゃねェ!感染ったらどうすンだよこのくそバカ!」 「おや珍しい。貴方が心配してくださるとは、明日の天気は槍ですか剣ですか」 楽しみですねぇ、と真顔で呟いた後、奴は突然笑い出した。最終的に引付けを起 こしたみたいになってたが、自分の言ったことに自分で受けてンだから突っ込む 気にもならない。 いっそそのまま死ね、なんて思っていたら、笑い出したのと同じ唐突さでそれを 引っ込めた光秀は、揶うように俺の頭をポンポンと叩いた。 「大丈夫ですよ」 何がだ。 「もし貴方の風邪が感染っても、貴方が看病してくれますから」 馬鹿は、にっこりと笑って断言した。その自信はどこから来るんだと思った瞬間 酷い頭痛に襲われてベッドに沈み込む。意識がフェードアウトする寸前、俺の目 に映ったのは、光秀という名の、やっぱりカオスだった。 END
政宗の扱いが可哀想なのは仕様です。そして馬鹿は私です。