その残り香で懺悔して
油の切れた蝶番が軋む音に、午前のうちから屋上でサボりを決め込んでいた三井 は、視線だけをそちらに向けた。 重たい扉を開いて現れたのは、二年下の後輩だった。額の上に手を翳し、眩しそ うに目を細めながら此方を見ている。 「よう、水戸じゃねーか」 「あ──やっぱり。ミッチー?」 逆光で見えなかったのだろうか。彼は、苦笑混じりに確認した。 「やっぱり、って何だよ」 「だって、こんな時間にサボってんのなんて、俺かアンタくらいでしょ」 「テメー……バカにしてねーか」 「まさか」 おどけたように肩を竦め、自分と同じように錆びたフェンスに凭れかかった水戸 が、学ランのポケットから煙草を取り出すのを見て、三井は少なからず驚いた。 「俺が煙草吸うの、そんなに意外?」 聞かれて、ああ、と呆けたような肯定を返す。 「吸ってるとこ、見たことなかったからよ。煙草はやってねーのかと思ってた」 「まあ、そこは気ィ遣ってね。花道も今じゃ立派にスポーツマンだし、あいつが 居る時には吸わねーようにしてるんですよ」 握り潰した箱から一本引き抜いて口に咥える。まだあちこち探っているのは、多 分ライターを探しているのだろう。その一連の動作を、無意識のうちに、三井は 食い入るように見ていた。煙草を吸っている奴なんて今更珍しくも無かったが、 水戸がそうしている姿は何となく新鮮だったのだ。三井が知っている他のどんな 奴よりも、絵になっていると思った。 だが、その言い種が気に入らない。 「俺がスポーツマンじゃねーって言いてェのかよ」 憤慨してみせたら、今度は逆に、水戸が驚いたようだった。 「え──嘘。アンタ」 「吸ってねーよ、一度もな!鉄男や竜にも、俺が居る時は吸うなって言ってあっ たし。だからテメーも止めろ。今は」 三井がそう言うと、水戸は何故か一瞬納得したような顔をして、次いでくつくつ と引き攣れるみたいに笑い出した。 ンだよ、悪ィか!と、三井はますます憤る。 何とか笑いを収めた水戸は、引っ張り出したライターで、咥えていた煙草に漸く 火を点けた。 「そっちのが、絶対意外だって」 言いながら水戸は、吸い込んだ紫煙を三井の顔に吹きかける。 「な──」 何しやがる──とでも言うつもりだったのだろうが、三井の口から出てきたのは 盛大な咳だけだった。げほげほと噎せるその様子を見て、 「ミッチー、ホントに駄目なんだ」 水戸は心底楽しそうに呟いた。否、嬉しそう、と言った方が正しいか。 三井は、怒鳴ってやろうと腹に力を込めた。だが。 「そんなら尚更、止めらんない」 す──と。 水戸の手が伸びて、三井の頬に触れた。たったそれだけで三井は訳のわからない 焦燥に駆られ、口の端まで上りかけた罵詈雑言を飲み込まざるを得なくなる。 「この傷ってさ、リョーちんが作ったんだよね──」 つつ、と滑り降りた指が、顎の傷をなぞった。 火傷しそうだ、三井は思う。触れている水戸の指も、声も、全てが熱い。 空いている方の手が動き、煙草をフェンスに押し付けて揉み消すのを、三井は呆 然と目で追っていた。 「俺もね、何でもイイから残したいワケよ。たとえば匂いだけでも、さァ」 そう言った水戸の、人を食ったような笑みの中に、一瞬、そうほんの一瞬だけ、 三井は隠された激情を垣間見た、気がした。 「み、──ッ!」 「こんなことしちまう前に察して欲しかったんだけどな。三井さん」 じゃあね、と、それきり背中を向けて屋上を後にした水戸の、その後ろ姿を引き 留めたい本心は知らない振りで、三井は乾いた唇を舐める。ほんの僅か残された 煙草の匂いに、思い切り顔をしかめてやった。 「苦ェンだよ、バーカ」 いっそ憎らしい程良く晴れた青空の下、雲を装って漂っていた白い煙が消えた後 で。 三井は未だ、動けずにいる。 END
はじめての洋三。ていうか洋⇔三。